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そして爺となる

1週間前の12/22、初孫が誕生しました。予定日より1週間遅れということで、気を揉んでおりましたが、母子ともに健康でほっとしております。 産院へ駆けつけましたが、新生児室ではどの子が、孫なのかよくわかりませんでした。しかしながら、顔の真ん中のだんご鼻をみて何となく遺伝を感じさせられました。 母親に言わせると、分娩室に入ってからは、壮絶な戦いだったらしいが、これだけは、男の身にはわからない.....。 12/22は、折しも1年で一番昼間が短い冬至でしたが、我々家族にとっては、誕生を待ち詫わびる最も長い一日となりました。

大腸ポリープ切除

以前の人間ドックで発見されていた大腸ポリープを先日某病院にて切除して頂きました。 日常診療では、患者さんのポリープを内視鏡的に切除しているのですが、さすがに自分のお尻にファイバーを挿入することはできませんので、午後の休診日を狙って今年中に終わらせました。 内視鏡学会の治療ガイドラインでは、「径6mm以上の腺腫は切除が勧められる」となっていますが、恐らく小生のポリープもその範疇に入るのだと思っております。まだ、病理結果は未報告の状態ですが.....。 一方、俳句の冬の季語に「鎌鼬(かまいたち)」なるものがあります、道などを歩いているときに、突然鋭利な鎌で切ったような傷ができる現象のことです。特に雪国地方でみられて鎌鼬という魔獣のせいだといういう言い伝えも残り、七不思議の一つとされています。傷の理由については塵旋風、真空説、電気説、気圧の急変など諸説あります。今回のポリープ切除は人為的な通電性の鎌鼬とでも言うべきでしょうか?

望年会

先週の金曜日、担当している施設の忘年会に出席してきました。ここの「ぼうねんかい」は、毎年「忘年会」ではなく「望年会」と銘打って行われます。一年を振り返り、新しい年を望むということらしい。 俳句の季語「年忘れ」は「忘年会」を意味する言葉ですが、「年忘れ」の俳句をインターネットで検索すると、富安風生の面白い俳句があります。「老いはいや死ぬこともいや年忘れ」 この俳句は風生が70歳の時に作った句です。「年忘れ」と漢字ですが、「自分が何歳か歳を忘れたい」というニュアンスも含ませた俳句でしょうか?風生は93歳で亡くなっています。 小生にいたっては、今年は還暦でした。還暦とは60年で、「暦」が「還る」というところから来ているわけですが、生まれた年に戻るというところから、赤ちゃんに戻る・第二の人生に生まれ変わるという意味になります。近々、初孫が誕生する気配です。「第一」と「第二」の人生をともに歩くことになるのだろうか?

枯葉舞う

先日のピザ屋さんの続編ですが、我々夫婦の隣にアベックが席に着きました。二人なら普通は対面に座るものですが、二人は隣り合わせに座っていました。 どうも、窓外の紅葉を二人で眺めるため、隣り合わせに座った様です。時折、女性は頭を男性の肩口にもたげるではないですか。何と仲のいいこと.....。 一方、クリニックのナースから、ファミレスで男女の別れ話の光景を目撃したとの話を聞きました。 人の世は悲喜こもごもです。紅葉も枯葉から落葉へと変わっていきます。「ファミレスで恋が終わるか虎落笛(もがりぶえ)」。

木守柿

柿の木にポツンと一つ柿の実が残っている光景を目にすることがありす。「今年も収穫をさせて頂きましたので、鳥達にもお裾分けします」って言う気持ちで、少し残しておくこの様な柿の実を『木守柿(きもりがき)』と呼びます。 一方、人の心の枝には、数多の後悔がぶら下がっています。柿の実を捥ぐように、その後悔を一つずつ捥いでいく。捥いだ後悔は、忘却と言う籠に放り込んでいく。  そして、一つだけどうしても捥ぎとれない後悔があることに気付く。その後悔とじっくり向き合ってみる。すると、その後悔が己をたくましくしてくれているということがわかってくる。 最後に捥ぎとれずに残ったこの後悔。それは、己という幹を、冬の寒風から守ってくれる木守柿なのだと云う人がいる。木守柿は、冬の季語です。この木守柿、本日出掛けたピザ屋さんの窓の外に見ることができました。今日から12月、小生の心中には木守柿いくつ残っているのだろうか?

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