​ブログ

妻よ薔薇のように

先日の日曜日、久々に映画館に出かけました。お目当ては、「妻よ薔薇のように」。橋爪功、吉行和子らが演じる平田家の人びとが直面する大騒動をユーモアたっぷりに描いた山田洋次監督による喜劇映画シリーズ第3弾。熟年離婚、無縁社会に続く今回のテーマは主婦への讃歌である。 平田家の長男・幸之助の妻・史枝がコツコツ貯めていたへそくりが何者かに盗まれてしまった。史枝が落胆する一方で、「俺の稼いだ金でへそくりをしていたのか!」と心ない言葉を口にする幸之助の姿に史枝の我慢が限界に達し、ついには家を飛び出してしまう。掃除、洗濯、朝昼晩の食事の準備など、これまで平田家の主婦として史枝がこなしてきた家事の数々をやるハメになった平田家の人びとは大混乱となるが……。 前回の第2弾は、現在社会の問題点を浮き彫りにし、ストリー的にもよく結構笑えたのだが、今回はある意味ベタなストリーでちょっと拍子抜け感が強い。 薔薇といえば、先日亡くなった西条秀樹の楽曲に「薔薇の鎖」があります。歌詞の一節「 愛する二人ははなれていても さびしくはないさ夜も朝も 薔薇の鎖が二人をつなぐ.....」。どうか、「薔薇の鎖」は「薔薇の腐り」とならないことを願いたいものです.....。

三方一両損

皆さんは、「三方一両損」の落語を聞いたことがあるでしょうか?この話、簡単に言うと三両落した人と拾った人がお互いにお金を受け取ろうとせず、奉行の大岡越前が「私も一両出して二人で二両ずつもらいなさい。三人とも一両ずつ損したことになるだろう」と言って丸く収める、というものです。 三人が一両ずつ損したのならば、拾った人はどうしたって得するはずなのに「二両だと損になる」と言ってしまうことが問題なわけですが、こういうことは世間で結構起こっているような話です。 「損とは何か」について考えると、落とした人も拾った人も「お金はいらない」と思っていたのですから、零両でいいという決意があったわけです。そこから考えると、二両手元にあるのは「+2両」です。三方一両損というのはあくまで大岡越前の主観であって、そう名付けるのがふさわしいかどうかはわかりません。 結局、結論はどうなってるんだと思うかもしれませんが、なんだかよくわからないことを考えると新しい可能性が見えてくるかもしれません。長男、長女の結婚に際しては、両家の希望が満額叶うことは難しい様です。本当に正しい「損得」というのは、見つけられませんが、ポジィティブにとらえて見守ってあげたいものです。もっとも、三方のもう一方の当の本人2人達には、「一両損」の認識はないでしょうが.....。

謝罪会見

関西学院大学と日本大学によるアメリカンフットボールの定期戦で、日大の選手が悪質な反則タックルで退場になったことが社会問題化している。そんななか、反則行為を行った日大の宮川泰介選手が日本記者クラブで、昨日会見を行い、一連のプレーが監督およびコーチの指示であったことを明かした。 会見では、「やる気がないなら辞めろ。相手のクオーターバック(QB)を潰すなら試合に出してやる」、「ワンプレー目からQBを潰しに行け」、「できなかったじゃ済まされない」、「秋の関西学院大の試合でQBがケガをしていれば得だろう」等々、生々しいやり取りが語られた。 宮川選手は全日本大学選抜にも選出されるなど将来を嘱望されていた実力者だが、「アメフトを続けるのが苦痛。自分にアメフトを続ける権利はない。やるつもりもない」と引退を表明した。日大の監督、コーチは、関西学院大のQBだけでなく、夢を追いかけてきた自大学の若者の人生までも潰してしまったことになる。 この日大選手の会見は、今、日本で起こっている恐ろしい事態(森友、加計、働き方改革)すべてに通じる様な気がする。戦時中の特攻隊、やくざ渡世の鉄砲玉と同様に中間管理職の地獄のすべてが象徴された格好だ。日大の監督とコーチは、いったいどう責任を取るのか?今晩8時から、監督とコーチの会見がある様だが、さてさて、事態はどのように収束するのだろうか........。 EndFragment

三回忌とソーダ水

本日は、義父の三回忌でありました。亡くなって2年目なのになぜ三回忌なのでしょうか? 一周忌は人がなくなって丸1年をまわった日をいい、一回忌とはいいません、丸2年をまわった日を三回忌といいます。これは、亡くなった日が1回目の忌日、丸1年目が2回目の忌日、丸2年目が3回目の忌日であることによります。 現在私たちが行っている年忌法要は、かならずしも命日に営むとはかぎらず、法要にかかわる方々に都合のよい日を選んで営んでいます。本日、日曜日に合わせて親族のみで、三回忌がとり行なわれました。法要は亡くなった人への追善回向のためです。読んだお経や念仏の功徳を亡き人のために差し向け、さらには、自分が生きている事実について深く考え、そして、自分を生かしてくれている不思議なちからの存在に気づくことが、追善回向であります。 法要のあと、某ホテルの日本料理屋さんで、昼食を頂きました。車で向かった上は、アルコール類を口にすることはできません。そこで、輪島産のソーダ水(夏の季語)で献杯することにいたしました。薄暑の候、ソーダ水は喉越しが何とも心地よく、亡義父の追善回向を滞りなく行うことができました。

竹の秋と秋の麦

天を目指して伸びていく竹。そのまっすぐ立っている様子や美しい緑色には、つい目を奪われてしまいます。特に新緑の頃は、いっそうまぶしいその姿。しかし実は、竹にとっての新緑の頃…つまり「春」は、春夏秋冬で言うと「秋」に当たるって知っていますか? 春から初夏は、竹の子を育てるのに栄養をとられる、いわば「実りの季節」でもあります。竹の葉は1年で生え変わりますが、5~6月に黄色く色づいて落葉します。竹の子が大きくなった後なので、まるで子どもを育てた親の竹が疲れて枯れていくようにも見えますが、実際は、新芽に日光を当てるために古い葉を落としているのだと考えられています。こういったことから、実際の季節は春であるにもかかわらず、竹にとっては「秋」のイメージとなるのです。そして、ほかの木々が落葉する秋は「竹の春」となって、すくすくと勢いづいていきます。 また、小麦・大麦などの麦類は初夏を中心とする季節(5月~7月)に収穫期を迎え、畑いっぱいに穂が実ります。そのため、この時期を「麦の秋」と呼ぶようになりました。麦の仲間は、米のように夏に育つのではなく、秋に種をまかれたあと、冬の間に育って、初夏に実を結ぶのであります。辺りの草木がみずみずしい緑色となっている初夏に、麦畑だけが黄金色になっているのを見ると、なにか神々しさのようなものを感じさせられます。 ゆえに、俳句の世界では、「竹の秋」は春の季語であり、「秋の麦」は夏の季語になります。子どもを育てた親竹が、新芽に日光を当てるために古い葉を落としている光景。なんだか切ないですね!また、我が子どもたちには、麦のように初夏には、きれいな実を結んで欲しいものです

母の日(夏の季語)

「母の日や親孝行もせぬうちに」.......。今日は母の日です。小生も母の日くらいは母親に何かできないかと、毎年小さな脳みそを振り絞っています。母の日は五月の第二日曜日とされ、俳句の歳時記では初夏、五月の季語になります。 俳句への本格参戦を目指し、昨日”歳時記”を買い求めました。豊かな自然とこまやかな季節の移行を、古来から日本人は慈しみ、美意識を深めてきました。その結晶が「季語」といえます。俳句は季語を含むことで、わずか十七音で、宇宙の神秘から日常の喜怒哀楽まで詠むことができるのが魅力です。 StartFragment 日本人は、普段通りの日常を「ケ」の日、祭礼や年中行事などを行う日を「ハレ」の日と呼び、日常と非日常を使い分けてきました。日々に「ハレ」と「ケ」があるように、人の中にも、光の部分と影の部分があります。悪いことが起こると「明日はきっとよくなる」と自分を励ましたり、よいことが起こると「いいことばかりではない」と喜びすぎるのを戒めたりすることがあります。この感覚は、日本人の暮らしのメリハリや心の影響と深いかかわりをもっています。EndFragment 母の日も、ある意味年中行事の一つなのかも知れません。「ハレ」の日を過ごすことで心身に潤いを与えて「ケ枯れ」を防ぎ、明日への活力にしていきたいものです。というわけで、明日への活力を願い、今年の母の日はステーキ肉を贈ることにしました.......。 StartFragment EndFragment EndFragment

若鮎の塩焼き

ゴールデンウィークの1日を利用して、富山の庄川まで鮎を食べに行ってきました。1年に1回、近年恒例になってきました。行先は、あの有名な「鮎や」です。 前もって予約をしてみたら、昼は予約で一杯とのことで、とりあえず予約をせずに向かいました。着いたのは13時少し前。多少並んでいましたが、20分足らずで席に着くことができました。 店の中心では調理人がセッセと鮎を焼いておりました。ゴールデンウィーク期間中は、ある程度は料理が決まっています。鮎うるか、お造り、酢の物、若鮎唐揚げ、そして若鮎塩焼き5匹です。あっさりとした味のある身と、少し苦みのあるワタの味が美味しい!焼き上げた鮎の食べ方は、頭ごと食べる派と頭だけ残し派がいます。小生は前者であり、追加で3匹ずつ注文し、全部で8匹頂きました。 ところで、鮎はなぜ魚ヘんに占なんでしょうか? アユが一定の縄張りを独占する、つまり占めるところからつけられた字であるというものや、日本書紀にでてくる話に、神功皇后が今後を占うために釣りをしたところ、釣れた魚がアユであったため、占魚とあてられたとするものなどがあります。いずれにしても、やっぱり香魚とも呼ばれるあなたはアユなんでしょう。”Are you a アユ?"

こどもの日

StartFragment EndFragment StartFragment StartFragment EndFragment StartFragment EndFragment 「こどもの日」は、子どもたちが健やかに育つことをお祝いして、国民全体の祝日として定められました。5月5日は、古来には「端午の節句」という男の子の健全な成長を願う日だったので、今でも男の子が主な対象とされやすいのですが、法律で定められた「こどもの日」とは、男女どちらの子どもも対象となる日とされています。子どもが生まれて初めての節句を「初節句」と言い、女の子は3月3日の「桃の節句」、男の子は「端午の節句」が初節句にあたります。 この5月5日に初節句を迎える男の子にむけ、鎧兜や五月人形を贈る風習があります。鎧兜は、古来の武士が身に付けていたように自身の身を守るもの。そのため、端午の節句で飾る鎧兜には、子どもが事故に遭ったり病気になったりせずに安全に過ごせるようにとの願いが込められています。 昨日、ゴールデンウィークの一日を利用して、婿殿の実家に婚儀に向けての挨拶に出掛けました。仏間には鎧兜をまとった武者人形が飾られていました。傍らには初節句時の写真も添えられておりました。小学校時代にCHANBARA世界大会で入賞いた際の賞状も飾られており、文字道り武者人形さながらに当時のわんぱく姿が垣間見えます。本来なら「こどもの日」に婿殿は、母親の手料理を食べたかったのでしょうが、代わりにご相伴にあずかり、当家をあとにしました。 こどもの日の縁起ものとして、かしわ餅を食べる風習もあります。柏の葉は、他の新しい葉が生え

憲法記念日

本日からGW後半戦ですが、日本列島はあいにくの天候で、外出は手控えた方がよさそうです。アルバムを整理していると4年前の憲法記念日に撮影した我が家の庭先の写真が出てきました。チューリップとツツジが咲き誇り、結構賑やかだったのですが、今年は豪雪後の庭先とあって少々寂し気な様相です。 かつてなく改憲が現実味を帯びる中で迎えた憲法記念日。その本丸である9条改正については、改憲か、護憲か、二元論の前で思考停止状態です。こうした中、森友、加計学園問題や自衛隊日報隠蔽などで内閣支持率は下落。一連の政権不祥事で国会審議は停滞しております。EndFragment そもそも、憲法記念日とは、アメリカ占領軍下のS22年5月3日施行の記念日です。アメリカ軍政がひかれていたからこそ9条で軍隊は不要とした。軍政が解除され日本が独立したのは6年後です。「やっとアメリカから独立したのに、自国憲法をなぜつくらないのですか?」というのは当然の疑問です。ただ当時としては、「憲法よりも経済復興を」という国民の声に応じざるを得なかったのでしょう。憲法学者なる方々が軍事政権下制定の憲法をありがたがっているとし、日本が法的にはまだ独立国でないと皮肉る人もいます。 現在、野党は政権の不祥事で国会審議拒否状態です。与党・野党ともGW期間中、頭を冷やし、間違いは訂正し、不正はきっちりと切り、早くリセットして欲しいものです。朝鮮半島が動き始めている中、国際社会から取り残されない様、劣化した日本の政治家の奮起を促したいものです...。 StartFragment EndFragment

アーカイブ

© 2020 きむら尾張町クリニック